リサイクル着物店長の自己紹介

廣田克巳の写真

着物一筋37年のベテラン店長 廣田と申します。

1983年入社 町田店配属

1983年、大学を卒業後、呉服屋さんに就職し、37年間着物業界に携わっています。

当時はバブルの前で就職は厳しい状況でした。

私が入社した会社は伸び盛りで同期の販売員は100名以上入社しました。

私は東京都町田の駅前にある店舗に配属されました。

当時町田店は、全国でもトップクラスの売上を誇るお店でしたが、

女性販売員が売上のほとんどを作っており、男子社員は雑用係のような扱いでした。

私も、運転手やお茶汲みをやらされましたが、それにもめげず、

昼休みは30分以内にして、その他の休憩は取らず、1分でも多く店頭に立って接客をしました。

新人賞獲得

そんな甲斐もあり、その年4,000万円販売し、町田店初の新人賞を得る事が出来ました。

東部エリアでトップ、全国では4位でした。

そして、2年目はさらに一年目の1.5倍の6,000万円オーバーの売上出来ました。

2年目が終わる頃にその会社のエリートコースである「商品部」の転勤の内示を受けましたが、お断りをし会社を退職しました。

2年で退職

なぜ、突然退職したのかというと、会社の先輩から新しいビジネスに誘われ、独立する夢を叶えたいという気持ちでした。

しかし、たった2ヶ月前後でそのビジネスは破綻し、お金もすぐに底をつきました。

生活するのも大変なので、フルコミッションの営業をやったり、代行車のアルバイトをやって食いつないでいました。

どん底の状態

これからどうなってしまうのか?

ちゃんと就職しないといけない、と困っていた矢先、

退職した会社の人事部長から電話があり、退職前と同じ条件でもう一度戻らないか?とお誘いをいただきました。

もう、渡りに船という感じで、即答し、元の会社に戻る事になりました。

配属先も町田店でどうか、と言われ、一瞬かっこ悪いな〜と思いましたが、

選べる状況でも無いし、知っているお店の方が良いと思い快諾しました。

再入社

1985年の2月20日に退職し、1985年6月8日からまた町田店で新たな気持ちで仕事に取り組みました。

最初は、お店の同僚社員や女性社員に嫌味も言われましたが、

新人のつもりで一生懸命働き、徐々に信頼も回復し、認めてもらえるようになりました。

当時メンバーは、男性社員5名、女性社員8名、事務の女性4名、店長で総勢18名の大きなお店でした。

翌年からは、町田店の次席としてお店を引っ張って行きました。

着物屋の店頭のイラスト

葛西店店長

そして、1987年1月21日から葛西店の店長に就任しました。

葛西店は、ジャスコの中にあり、会社の中でも予算が出来たり出来なかったりというBランクのお店でした。

私としても待ちに待った店長職なので、就任した月から必死に頑張りました。

1月から翌年の2月まで13カ月間連続で毎月1000万オーバーをし、前年比、予算比とも160%近い達成でした。

もちろんその年の全国ナンバー1であり、これは未だに破られていない記録だと思います。

日本一になるためにやった事

その時にやった事は、品揃え、販売員教育、企画の集中でした。

品揃えは、商品部との連絡を密に取りコミュニケーションを図り、

商品を入れてもらい、入荷したらまず自分が率先して販売し火をつける、という事を心掛け、商品部との信頼関係を構築しました。

売れてくると、商品部は黙っていても良い商品をどんどん入れてくれます。

これで商品の好循環が起きました。

販売員教育は、出勤を早めてもらい商品説明をしたり、

営業中でも時間があればロールプレイングをしたり、着装の練習をしていました。

企画は、展示会、お店での企画を早めの段取りで行い、集客をしていきました。

着物屋の販売員のイラスト

特に気を付けた事

当時、葛西店は全国でもトップクラスに客数が多いお店でした。

と言うのも、近隣に着物屋が無いので着物に関する商品は当店に買いにくるお客様がほとんどでした。

1987年当時、お買上げ客数が年間12,000人、年末は2,000人近くありました。

行列になるので、足袋など売れ筋商品は前もって包んで置いてあるほどでした。

ですから、常に在庫チェックをしないと品切れになる事がありました。

私がいつもメンバーに言っていたことは、

着物屋にあるはずの商品が品切れしていたら、お客様に対する裏切り行為になります。

お客様を裏切ったら、もう来てくれないかもしれません。

あの店に行っても、無いかもしれないから他のお店に行こう、と思われてしまうかもしれません。

もし、足袋一足でも品切れしていたら、お届けしてください。

あるべき商品が当店に無かったら、他店で購入してでもお客様に納品してください。と言っていました。

実際、七五三の時期には、800円の子供足袋が品切れになったので、他店で購入し配達しました。

明日、喪服を着るので、と探しに来たお客様には、商品は電車で2時間近くかかる商品部まで取りに行きました。

喪服に家紋を貼らないといけないが、お客様の貼り紋が商品部にも問屋にも無く、

いろいろ探した結果、三越にあったので、買いに行きました。

そして、その日の内に揃えて、貼り紋を貼り付けて、納品しました。

確か、10万円位です。

その他、白の羽織紐が無く、他店で購入し納品した事もありました。

こんな地道な努力をして来た事で、客数を増やし続けて売上も上げる事が出来ました。

振り袖姿の女性全身縦

悲しい事もありました

もう30年前になる日曜日の夕方、私が店頭にいると、

髪の毛が産毛しか無いような背が高い若い女性と母親らしき二人が振袖を見て何か話していました。

そこに近寄り、「素敵でしょう」と声を掛けると若い女性が「ええ、とっても素敵です」と答えました。

「良かったら軽く着て合わせてみませんか?」と言うと二人が顔を見合わせて、

「それじゃ、着るだけでもいいかしら」と言うので「もちろん結構ですよ」と言い、店内に誘導しました。

そして、振袖を着せて、帯を付け、小物まで合わせると「素敵ね〜」と二人で言って欲しがっているようでした。

事情を聞くと、今入院中だけど今日は外出許可が出たのでジャスコに来ました。

来年成人式だけど式には出られないので、振袖は諦めていました。

でもこの着物なら式に出られなくても、退院した後に着て写真を撮りたい。と言って購入してくれました。

振袖を着る時は、ちゃんとカツラを付けるからね、と笑いながら言うほど明るいお嬢さんでした。

その後、納品の時はお母さんとお父さんが一緒に来店し、本当に喜んでいました。

お嬢さんは、入院中のようでしたが、退院できそうな話もしていたので、良かったと思っていました。

「振袖を着て写真を撮ったら、店に来てくださいね」と言って納品しました。

その後、何ヶ月か経ったある日、お母さんとお父さんが写真を持って来店しました。

お嬢さんは、振袖を着て写真を撮った後、少ししたら亡くなったそうです。

癌で余命宣告されていたようでお母さんもお父さんも、振袖を着せる事は諦めていたらしいです。

でも、最後に振袖を着て笑顔で本当に喜んでくれた、ありがとうございました。と言われ、

ボー然としながら、お二人の言葉を聞いていました。

その後、素敵な笑顔で振袖を着ているお嬢さんの写真を見せていただいた時には

悲しい涙が瞼に溢れなんと言って良いか分からずただ、写真を見つめていました。

その後、お二人が帰られましたが、その日は仕事にならず閉店までぼーっとしていました。

振袖を購入した日とこの日のことは今でもはっきり憶えています。

着物の力はスゴイです。

晴れ着を着ているとみんな幸せそうな笑顔になります。

着物を通じて、喜びを感じていただくお手伝いが出来るこの仕事は大好きです。

志木店

葛西店は3年間で2億5千万円から4億円まで伸ばし、志木店に異動になりました。

志木店は、前年全国ナンバー1の進捗率で売上1億円オーバーし、予算も前年より1億円上がっていました。

誰が考えても予算達成すら難しいお店でしたが、3年間連続予算達成しました。

志木店では、着物屋が3軒並んで出店していたので、客数は年間6,000人、葛西店の半分でした。

売上はほぼ同じなので、客単価は倍以上でした。

志木店でやった事

そこで、志木店は品揃えの充実と店舗プレゼンテーションに力を入れました。

3店舗並んでいるので、見た目も商品内容もトップにならなければお客様から選んでもらえないと思いました。

毎週月曜日に、商品の点検と発注をして、お店の陳列も全て変えて週末に備えました。

月に何度も来店するお得意様がたまたま陳列替えをやっている時にいらして

「お店の陳列は業者がやっていると思っていました、店長がやっていたのですね」とびっくりしていました。

新札幌店

その後、当時会社の中で一番売上が大きい店舗、新札幌店に転勤になりました。

予算は5億9千万円でした。

2年間在籍し、その内11ヶ月間予算達成し、店長として108ヶ月連続予算達成が出来ました。

この記録は未だ破られていません。

北海道は寒くて、雪も大変でしたが、人はすごく暖かくて大好きです。

子供が2歳くらいで小さかったですが、家族で札幌市に住んでいました。

その後、大宮そごうのお店に移動になり、半年後ブロック長に昇進しました。

ブロック長

ブロック長に就任してからも、山あり谷ありでしたが、6年間頑張りました!

3年目は利益率、前年比、予算達成率など全ての指標がトップ、もしくはトップクラスで総合でもダントツ日本一になりました。

いろいろな会議で発表し、表彰も数多くされて、一番輝いていた時でした。

この時は、多くの部下から「将来は社長になって欲しい」と言われましたね。

販促部長、そして運営部長

その後、販促部長に抜擢され、当時の販促予算38億円を使って会社を盛り上げていきました。

BS放送ですがテレビCMを作ったり、芸能人と年間契約したり。

また、年10回以上ある催事の段取りから手配まで全て行っていました。

この時は、限定された地域で頑張って成果を上げている時と違い、会社全体の事なので責任を強く感じ、やりがいも感じました。

販促部長時代の3年間は、事務方としての経験はその後の人生においても大変役に立ちました。

その時は、このまま役員になって会社を引っ張っていくのだろうと思っていました。

その後、北日本の運営部長になりましたが、自分を落とし込むデマや自分のミスやヘマがあり、守ってくれた社長も退任し、最悪の人生が続きます。

お客様相談室の相談員として2年間、お客様の苦情を聞いて解決してきました。

その後、着付け教室の学苑長を3年間やりました。

どん底だけど

このどん底の5年間は、営業の裏舞台の仕事でしたが、大変勉強になりました。

当時は、自分にとって最悪と思うような人事でしたが、実はそうたいして深刻になっていなかったのです。

森信三(哲学者、教育者)が著書『修身教授録』の中で、「最善観」と言う考え方を下記のように言っています。

「我が身の上に起こる事柄は、その全てが、この私にとって絶対必然であると共に、またこの私にとっては、最善なはずだというわけです」

「チャンスは、ピンチの顔をしてやってくる」という言葉も悪いことがあるといつも思っていました。

相談室

まず、相談室ではお客様の身になって考える癖が付きました。

お客様のクレームを聞いて解決に導く事は困難も多々ありましたが、良かったと思います。

クーリングオフの画像

着付け教室

また、着付け教室の学苑長としての3年間は、もっと勉強になり、今活かせていると思います。

着付け教室の先生の考え方、生徒の考え方を3年間で学びました。

自分でも中学校に男性の浴衣着付けの講師として教えに行ったり、

留学生に浴衣の着付けをしてあげたりしました。

着付け教室の3年間は、先生や生徒と共にとても楽しい時間でしたね。

初詣の着物姿

また、店長、そして退職

その後、店長として5年間やってきましたが、

会社の方針について行く気がなくなった事とこの仕事のやりがいが感じられなくなった事で退職し、独立しました。

今は、リサイクル着物や帯をお手頃な価格で販売して、お客様に喜ばれています。

値段だけでは無く、お客様にその着物の価値を知ってもらってから購入してもらいます。

リサイクル着物は、新品のように状態が良くても価格は1/10です。本当にお安いです。

気軽に買ってもらい、着てもらえる着物です。

しかも、自分で着られない方には着せてあげるし、着方も教えます。

当店では、説得して売る人もいないし、説得されて買う人もいません。

自分の意思で購入を決め、笑顔で満足しています。

私のパーパスとは?

着物業界が38年目で、表も裏もよく知っていますし、値段のカラクリも分かります。

着物の産地はほとんど行きましたし、有名な作家さんや職人さんにもいろいろお話を聞きました。

自分も毎日着物を着ていますので、男性の着物についても熟知しています。

お着物のお手入れについても、最近需要が高まり、毎日のようにお客様から相談されています。

着物のトラブルの対応や修繕方法なども勉強していますので、安心してご質問してください。

廣田克巳の写真

また、女性の着付けについての知識もありますし、着付教室の業界についても詳しいです。

ですから、偏った知識ではなく、幅広い経験がありますので、オールラウンドにお答えできます。

何か聞きたいことがあれば、遠慮無くお聞きくださいね。

私がこのブログを開設した理由は、着物を着てみたいと思う人に自信を持って着物を着て欲しい、

もっと着物を楽しむ人が増えて欲しいという気持ちからです。

きものは日本の伝統文化であり、世界でもっとも美しい民族衣装です。

この素晴らしいきものを後世まで伝えたく思います。

そのお手伝いを少しでも出来ればと願っています。

当店の存在意義とは?

私たちは、何のために存在しているか?という事を自問自答しました。

着物を着たい全ての人をサポート

着物を着たい全ての人をサポートするために存在している。

そう思っていますが、当店のポテンシャルで全ての人をサポートするのは難しいですね。

だから、当店の商品やサポートが合う人をご紹介します。

50代のきもの初心者が気軽に安心して着物ライフを楽しめるようサポートします。

50代は、人生100年の折り返しで、これからもっと人生を楽しみたいと思っている人が多いです。

そして、これからの50年は着物姿が最も似合う年齢になります。

また、50代なら着付けを練習してキレイに着られるようになります。

男女マネキン

当店なら、50代にお勧めの大島紬は状態の良い縦横大島紬で3万円からご用意しています。

首都圏のお客様に人気の江戸小紋はリサイクルなら1万円台からございます。

着物、帯、長襦袢、小物など一式用意しても10万円位で揃えることが出来ます。

大島紬は着物だけでも新品なら50万以上しますが、リサイクルなら1/10位で購入できます。

無料マンツーマン着付け教室

さらに、当店で10万円以上購入したお客様には、着方教室を無料で4回受けることが出来ます。

しかもマンツーマンなので、自分のペースで教えてもらえます。

4回でひと通りお教えしますので、しっかり自習してもらえれば着ることが出来ます。

着物の着付けサービスについてはこちらをクリックしてください。

着付けの自装の練習

4回で覚える自信が無いお客様は、夢結びという切らない作り帯をお勧めしています。

帯を切らないので、いつでも元に戻せますし、サイズ変更も可能です。

切らずに作る作り帯「夢結び」を勧める7つの理由とは?はこちらをクリックしてください。

切らずに作る作り帯の写真

つまり、着物一式を新品の1/10位の10万円で購入すると、着付け教室が付いてきます。

しかも、マンツーマンなので自分のペースで教えてもられるので覚えるスピードが速いです。

一般の着付け教室に行ったら、着物が着られるまで最低でも10回位学んで3カ月はかかります。

しかも、入学金、授業料などですぐに10万円オーバーしてしまいます。

着付け教室のイラスト

無料の着付け教室は、タダより怖い物は無い、で高い着物や帯を買わされますよ。

その後も、リピートして購入してくれるお客様は、もちろん継続して着付を教えます。

新品の1/10位で着物を買うと着付が付いてくる、とても信じられない企画です。

無料の着付けサービス

着方を教えてくれるより着付けをしてください。もちろんOKです。

着付け師のイラスト

自分で着るのは大変だから、着付してください。という人もいらっしゃいます。

訪問着や色無地などで式典などに出られるなら、当店で着付けします。

着付けは、基本5万円以上購入してくれたお客様には無料で対応しています。

ただし、営業時間内で着付け師がいる時間のみになります。ご相談ください。

着物のメンテナンスが得意

しみ抜きや丸洗いなどメンテナンスはどうするの?おまかせ下さい!

着物を干したイラスト

丸洗いは、月に一回あるきものクリニック期間ですと通常3,800円が1,000円引きで2,800円になります。

価格は安いけど、丁寧な仕事で大変評判が良いです。しみ抜きも、その場で見積りしてもらえるので安心です。

シミによっては後日見積りになる場合もあります。しみ抜きも良心的な価格でご奉仕しています。

お客様の立場に立つという事

私たちは、いつもお客様の立場で考え、お客様に喜んでもらえるように接客提案しています。

私たちにとってお客様は友人や家族以上にとても大切な存在です。

そんな大切な方に対してウソを吐いたり騙したりすることはありません。

どうすれば喜んでもらえるか?そのために私たちに何ができるのか?いつもその事を考えています。

これは、50代でも20代でも変わりません。

全てのお客様は私たちにとって、とても大切な人です。

晴れ着の女性

最後に

私たち、そして私たちのお店は、着物を通してお客様に満足してもらうために存在しています。

そのためには、できる事はなんでもやっていきたいと思っています。

これからもよろしくお願い致します。